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『トー・タム』と『野菊の墓』におけるふたつの愛

Quá trình hiện đại hóa văn học Nhật Bản và các nước khu vực văn hóa chữ Hán:Việt Nam, Trung Quốc, Hàn Quốc

期日:2010年3月18日(木)〜19日(金)

場所:ホーチミン市人文・社会科学大学

Sơ thảo chưa làm xong :

『トー・タム』と『野菊の墓』におけるふたつの愛

 

Ⅰ. 小説『トー・タム』(1925)について

・ 小説『トー・タム』の出現と作者ホアン・ゴック・ファイック(1896-1973)

・ 物語構成:

  作者と第三者(語り手)

・物語内容:

 小説は、作者(Hoàng Ngọc Phách) が友人(Lê Thanh Vân)の体験した悲恋物語を聞いたままに書き留めたという構成になっている。物語は、夏休みになったばかりのある日、高等師範学校の教師をしている記者(つまりこの小説の作者)が同僚のレ・タイン・ヴァン(別名ダム・トゥイ)から悲劇的な恋愛体験を聞かされることから始まる。その悲恋譚は以下のように展開する。

高等学校の学生であるダム・トゥイは学校がテト休暇になって帰省する途中、財布をなくす。その財布には必要な書類を入れておいたので見つけ出したいと思い、県の役所を通りかかった時、そこに立ち寄って県知事に事情を述べる。県知事は見つけたなら知らせると約束する。田舎から学校に戻って後、なくした財布を受け取りに来るようにという連絡を受け、ダム・トゥイが指定された家に行ってみると、そこは県知事の義理の姉の家だった。彼女には男の子タン(Tân)と女の子ラン(Lan)のふたりの子がいた。彼女の夫(すなわち県知事の兄)は5年前に病没していていた。ダム・トゥイはこれを機縁に彼女の家に出入りするようになる。彼はランにトー・タムという愛称をつける。ランは西欧の文学を知る教養ある文学少女であり、ダム・トゥイと出会う以前から、彼の書いた小説や詩を愛読していてダム・トゥイにあこがれていた。実際に出会ってからは彼を愛する気持ちが強まり、彼もこのことを察知する。二人はやがて手紙を通して互いに愛を打ち明け合う。だが、彼にはすでに家で取り決めた婚約者がおり、このことをトー・タムは知らされるが、望みがないことを知りつつも彼女の一途な愛は変わらない。その後、トー・タムは母の病気が悪化したため家のことを心配し、母の意向に沿って別の男性との結婚を承諾する。しかし、ダム・トゥイに対する思いを断つことができず、愛していない男性との結婚には何の幸せもなく、彼女は思い煩い、胸を病んで死んでしまう。それを知ったダム・トゥイはショックを受け、病気に罹ってしまう。しかし、兄の励ましにより病から回復し、これからはトー・タムに出会う以前のように目的と希望をもった人生を歩もうと心に決める。

・ 手法の新しさ

① 語りの方法

作者が友人から聞いた話を書く。作者は物語の結末をすでに知っていて物語を展開するのであるから物語における時間を操作することができる。

② 手紙・日記を効果的に用いていること

読者は心理的に直接登場人物とつながり、小説の世界に引き込まれる。トー・タムの悲しみ、苦悩は読者の心を直接打つ。

③ プロットが心理の動きに従って展開されていること

近代小説に欠かせぬ重要な手法であり、登場人部の自我意識の表出に直接関わる。

・ フランス文学の影響

  ①『椿姫』(デュマ・フィス、1848)

- 書簡・日記の使用

病床にあってトー・タムの残す日記(手記)はマルグリットの手記と調子が同じ

- ダム・トゥイが人里離れた遠い所にトー・タムを連れて行って生活したいと考える箇所→アルマンがパリ郊外の田舎でマルグリットとふたりだけの生活をする箇所

- トー・タムダム・トゥイの再会

トー・タムが別の男性と結婚して後、ドン・クアン寺の祭でふたりが再会する箇所→アルマンが父の離間策によりマルグリットから引き離された後の再会の箇所

- ダム・トゥイがトー・タムの消息をたずねる箇所

トー・タムが死んだ後にダム・トゥイが彼女づきの手伝いをたずねて事の次第を聞く箇所→マルグリットの死後アルマンが彼女の面倒を見てくれたジュリー・デュプラの家をたずねる箇所

- ダム・トゥイがトー・タムの墓をたずねる箇所

 →アルマンがマルグリットの墓をたずねる箇所

   ②『マノン・レスコー』(アベ・プレボー、1731)

  - 冒頭の前書き

  - ダム・トゥイの回生

    ダム・トゥイが兄の励ましにより過去を反省し、社会的に有意義な生き 方をしようと決意する箇所→シュバリエ・デ・グリュが自分の過去の行為を反省し、改心する箇所

 

3. ベトナム文学史における評価

【文学的評価】

 ①同時代(当時)の評価

時間の選択は、実際、きわめて厳格であり、また公平である。それは世に出た時歓迎されなかった作品にとっての勝利となる。(一部略)そして、いかに多くの文学者、いかに多くの作品が一時もてはやされはしたが、今では沈黙のなかに沈んでしまっていることか。最近再版されたホアン・ゴック・ファイック氏の『トー・タム』はそのような種類の作品だ。世に出た時は『トー・タム』は私たちによって歓迎された。北から南まで『トー・タム』を知らないものは誰もいなかった。多くの女性が小説を全部暗記するほどであった。しかし、今日では誰も『トー・タム』をもち出さない。時間の選択は他のさまざまな文学者の多くの小説のようにその小説を排除した。『トー・タム』はこのような運命にあったのである。なぜなら、芸術なるものがしっかりしていなかったからである。その心理小説は外側の大まかな心理、心のあり様だけを分析したにすぎなかった。

(出典:タック・ラム『流れに沿って』〔初版1941年〕サイゴン、1972年版、pp.9-10)

 

  ②現代ベトナムの評価

『トー・タム』を書くにあたり、ホアン・ゴック・ファイックは、ブルジョア化した、あるいはブルジョア化しつつある社会で変化を経験している旧い家庭に属する都市青年の愛という、当時の都市生活の表情を反映させたいという意識をもっていた。馴染みの幸福な結末というやり方とは異なり、作者は二人の主要登場人物の一人を死なせ、愛を壊している。そのようにして、旧い文学の伝統的な結末のやり方である倫理性を斟酌して、ホアン・ゴック・ファイックは作者の強引な解決の仕方で表現された「立業」というアイディアにより、ダム・トゥイが「恋の病」を癒す話しを語る。『トー・タム』をもって、ホアン・ゴック・ファイックは、ベトナムの伝統的小説の章回構成のやり方をのり超えた最初の人である。彼は当時の都市生活者の描写に有利な心理的規律による新しい構成法をもたらした。人物が離脱する環境であるかのような自然と人物心理を描写する芸術はこの作品の新しい貢献である。『トー・タム』は20世紀初めにおけるベトナム文学の最初の浪漫小説である。  (出典:『文学辞典』〔第二集〕、社会科学出版社、ハノイ、1984年、408ページ)

 

Ⅱ.『野菊の墓』(1906)について

・ 作者:伊藤左千夫(1864-1913)

 歌人正岡子規(1867-1902)の門人。『万葉集』研究に全力をつくす。島木赤彦、斎藤茂吉らの歌人を育てた。

・ 物語構成

主人公政夫が10年あまり前の民子とのできごとを語る。

・ 物語内容

この物語は主人公政夫が10年あまり前の悲しい体験を自ら回想する構成をとる。物語が展開する時間は2年間ほどである。

私(政夫)の家は松戸から2里ほど下った矢切村にある。家は名の知られた旧家で農家。母は当時病弱であったため、市川にある親類の家の民子という17歳になる子が仕事の手伝いや母の看護にきていた。私は小学校を卒業したばかりで15歳、11月からは中学に進学することになっている。民子は活発で元気がよかったが、反面気の弱い素直な女の子であった。二人は小さい頃からの仲良しであった。政夫の母も二人を小さい頃から兄弟のようにかわいがっていた。家には兄と兄嫁、作女のお増がいた。政夫の父は10年ほど前に亡くなっていた。母や兄嫁は政夫と民子が周りの評判になり、うわさを立てられることを気遣うようになっていた。政夫と民子は一緒に農作業をすることもあり、二人の間に恋心が芽生えつつあった。

陰暦9月13日、家中が手分けして野に出ることになり、政夫と民子には山畑の綿採り仕事があてがわれた。二人は、仕事において幸福な時間を過ごす。だが、仕事を終えるのが遅くなり、月明かりのなかを家に帰ると、家では夕食をとりながら、政夫と民子のことをあれこれ気遣っていたことを二人は知る。母が二人の仲に疑いの心を起こしたのではないかと政夫は心配する。政夫は村祭りが済んだら11月を待たずに、早めに学校に行くよう告げられる。中学校では寄宿生活を送ることになっていた。

政夫は民子から離れたくはないが、母のすすめに従う。家を去る前に、政夫は手紙を民子に渡し、冬休みの再会を約束する。民子はこの頃からやつれが増し、痛々しさが見て取れた。政夫は学校に出てからも民子のことばかり思っていた。

冬休みになり、帰省した政夫は、民子が実家に帰されたことをお増から知らされる。家の考えでは、ふたつも年上の民子を政夫の嫁にすることはできないということになったらしく、とくに兄嫁が厳しい見方をしていた。政夫は年明け早々に学校に立って行く。この年の夏休みには政夫は帰省しなかった。年の暮れを迎え、母から帰省するように促されて、政夫が家に帰ると民子が昨年11月に嫁に行ったことを母から知らされる。政夫は民子の境遇がどのようであっても政夫を思う気持ちに変わりがないことを信じている。

月日がたって、6月22日に家から「スグカエレ」の電報があり、家に帰ると政夫は母から民子が流産して、それが原因で6月19日に亡くなったことを告げられる。母は民子に対する自分の仕打ちを泣きながら後悔し、自分を責め立てる。

政夫は民子の墓参りをするため、民子の実家を訪ねる。民子の家の人たちから民子の死に際の様子を知らされ、政夫は深い悲しみに包まれる。民子の家でも民子と政夫の仲を知らずに民子を嫁にやったことを深く悔やんでいた。民子は両親の希望に従い、嫁にいったのであった。民子は死んだとき、政夫の写真と手紙を左手に握りしめていたことを知らされる。

政夫は民子の死を深く悲しんだが、自責の念にかられ苦しむ自分の母親のことを気遣い、自らを励まし元気なふりを装い、母を慰めようとする。

政夫は7日間毎日民子の墓参りに出かける。民子の墓の周りには民子が好きだった野菊が一面に植えられていた。やがて政夫は学校に出るため、家を後にする。

 

・ 物語の特徴

過剰なほどの感傷性。思想性は乏しい。

・ 夏目漱石に賞賛される。

・ 映画化(1955年、1966年、1981年)

・ テレビドラマ(1959年、1961年、1963年、1965年、1973年、1975年、1977年、1993年、1994年)

・ 舞台劇(1983年、2001年、2003年、2005年、2007年、2008年、2009年、2009年)

 

Ⅲ.作品比較

  トー・タム:優しい、聡明。ダム・トゥイの言葉では才色優れた少女。

     学歴は小学卒業。小さい時、漢字を習う。15歳の時、父が亡

     くなり、ハノイに転居、フランス語を習う。

  民子:優しくおとなしい。

     学歴については言及なし。政夫に手紙を書くことができない。

 

まとめ

 自由な意志による恋愛が封建的な考えによって阻まれるという悲劇をテーマにした物語。

 

トー・タムは人生に対する思想をもっているが、考え方は古風。

民子は目上の人々に対しては素直で従順。

ダム・トゥイは自己主張型の人物ではなく、思想性も乏しい。家の存在は絶対的な力をもち、家の前では彼は無力。

政夫は二人兄弟の弟という関係もあり、従順な子供。恋愛に対する思想はない。

 

[ふたつの作品の今日の状況]

・ ベトナムでは読まれていない。作品は絶版。

・ 日本では版を重ねて今でも読まれている。新潮文庫版『野菊の墓』2007年112刷。

 

 

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