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  • Thần tích Hà Nội - Đặc điểm số lượng và giá trị

    Thần tích hay còn gọi là thần phả, ngọc phả, phả lục... là loại hình văn bản ghi chép sự tích các thần được thờ ở đình, đền, miếu. Trước khi chữ Quốc ngữ ra đời, thần tích được viết bằng chữ Hán, chữ Nôm, sang thời kỳ thực dân, trong các bản kê khai thần tích ở các làng xã, bên cạnh thần tích, thần phả viết bằng chữ Hán, chữ Nôm, còn có cả thần tích viết bằng chữ quốc ngữ. Các thần tích viết bằng chữ Hán, chữ Nôm được lưu trữ chủ yếu ở Viện nghiên cứu Hán Nôm. Các bản thần

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  • Thêm một số tư liệu hiện lưu giữ tại Viện Nghiên cứu Hán Nôm về quan hệ bang giao Việt Nam – Nhật Bản

    Nguyễn Thị Oanh – Trịnh Khắc Mạnh Viện Nghiên cứu Hán Nôm Lời nói đầu Việt Nam, Nhật Bản và bán đảo Triều Tiên đều là những nước chịu ảnh hưởng sâu sắc của văn hóa Trung Quốc. Tuy không cùng tiếng nói, nhưng cả ba nước đều lấy chữ Hán làm công cụ ghi chép, đồng thời đều có chung lịch sử tiếp thu văn hóa Hán khởi nguồn từ Trung Quốc. Trong việc tiếp thu tư tưởng Trung Quốc: Nho - Phật - Lão, các nước đều lấy Nho giáo làm hệ tư tưởng chủ đạo. Hiện tại bán đảo

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  • Bước đầu tìm hiểu kho sách chữ Hán ở Học viện Viễn đông Bác cổ Pháp tại Hà Nội qua thư mục của Matsumoto Nobuhiro

    Ảnh: Trích văn bản Thư mục sách chữ Hán của Việt Nam ở Học viện Viễn đông Bác cổ Pháp của GS. Matsumoto Nobuhiro   Như chúng ta đã biết, kho sách Hán Nôm hiện lưu trữ tại Viện Nghiên cứu Hán Nôm (VHN) được tổng hợp từ nhiều nguồn, trong đó chủ yếu là nguồn từ Học viện Viễn đông Bác cổ Pháp (gọi tắt là Học viện), và nguồn sách từ các thư viện khác. Sách của Học viện thuộc phân kho A, với các ký hiệu A, AB, AC, AD, AE, AF, AG, AH, AJ; Sách từ các thư

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  • Kiểu truyện "Đánh lui thần sấm" trong truyện cổ dân gian Việt Nam, Trung Quốc và Nhật Bản

    Ảnh: Văn bản Lĩnh Nam chích quái - Nguồn: Thư viện Quốc gia Việt Nam Thần Sấm là nhân vật thường xuất hiện trong truyện cổ dân gian(1) ở các nước trong khu vực và trên thế giới. Trung Quốc (phương Nam), Nhật Bản, Triều Tiên và Việt Nam từ xa xưa đều là những nước nông nghiệp, lấy lúa nước làm cây trồng cơ bản. Nhờ khí hậu ấm áp, lượng mưa lớn về mùa hè đã giúp nghề nông với cây lúa nước có điều kiện để phát triển, giữ vai trò chủ đạo trong nền kinh tế. Bên cạnh

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  • Nữ tiểu học và các sách nữ huấn của Việt Nam - Dưới góc nhìn của thư chí học so sánh

    Ảnh: Sách chép tay Nhị thập tứ nữ tắc diễn âm 二十四女則演音(Ký hiệu AB.307) Lời nói đầu Các sách nữ huấn của Việt Nam từ trước thế kỷ XIX cũng giống với các sách nữ huấn của Trung Quốc, Bán đảo Triều Tiên và Nhật Bản đều có mục đích điều tiết cuộc sống sinh hoạt của phụ nữ nên có thể nói nó chịu ảnh hưởng của tư tưởng Nho giáo. Với ý nghĩa đó người ta có thể thấy các điểm chung trong các sách nữ huấn của Trung Quốc, Việt Nam, Bán đảo Triều Tiên và Nhật Bản. Nói

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  • Về thời điểm ra đời của bài Nam quốc sơn hà

    Từ trước Cách mạng Tháng Tám cho tới nay, không ít học giả nổi tiếng trong công trình khoa học của mình vẫn khẳng định: bài thơ Nam quốc sơn hà là của Lý Thường Kiệt. Có thể kể ra đây một vài công trình tiêu biểu như: Việt Nam sử lược của Trần Trọng Kim(1), Lý Thường Kiệt của Hoàng Xuân Hãn(2), Việt Nam cổ văn học sử(3) của Nguyễn Đổng Chi, Việt Nam văn học sử yếu(4) của Dương Quảng Hàm, Tổng tập văn học Việt Nam(5) của Văn Tân, Lịch sử văn học Việt Nam(6) của Đinh

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  • Vài nét về tình hình nghiên cứu văn học điềm báo qua hiện tượng "Giấc mơ" ở Nhật Bản và những gợi mở cho việc nghiên cứu văn học điềm báo ở Việt Nam

      Nguyễn Thị Oanh Viện Nghiên cứu Hán Nôm, Viện Hàn lâm KHXH Việt Nam 183 Đặng Tiến Đông - Đống Đa - Hà Nội   TÓM TẮT Hiện nay ở Việt Nam, số lượng các nhà nghiên cứu Việt Nam nghiên cứu về văn học setsuwa (thuyết thoại) của Nhật Bản đã gia tăng đáng kể so với những năm trước đây, song sự hiểu biết liên quan đến  văn học điềm báo, ghi chép về những chuyện chưa xẩy ra trong tương lai như “mộng ký”, “đồng dao”, “sấm ký” …ghi chép ở văn học thuyết thoại của Nhật còn

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  • ベトナムの漢文説話における鬼神譚について巡る ――『今昔物語集』との比較

    Nguyễn Thị Oanh 要旨 ベトナムの漢文説話は決して数は多くはないが、中国、日本と同様、早くから鬼・妖魔譚があり、共通する話も多い。ベトナムの漢文説話における鬼・妖魔譚の研究を深化・進展させるためには、ベトナムの代表的漢籍(漢文説話と漢文資料)を多方面から研究する必要がある。その手段として、ベトナム・日本ほか漢字文化圏の鬼・妖魔譚における鬼神世界、妖怪文化などが、中国の志怪、伝奇小説などの影響下でいかに形成されたのかを比較検討するのは、有力な研究方法である。 「ベトナムの漢文説話における鬼・妖魔譚について――『今昔物語集』との比較」というテーマを研究する目的は、まず、(1)人間と鬼・妖怪との結婚譚、(2)鬼退治や鬼守護などの人間と鬼・妖怪との遭遇譚、(3)人間と鬼・妖怪との夢での遭遇譚を分析して、ベトナムの漢文説話における鬼・妖魔譚の型を明らかにすることである。次に、『今昔物語集』巻第二十七、本朝付霊鬼などの日本説話を中心に比較して、共通点と相違点を分析するとともに、両国の民間文学の創造性、民族性に着目し、日本で鬼・妖魔譚が多いのか、なぜ、日本では妖怪文化が発達し、ベトナムでは妖怪文化が形成されなかったのかを明らかにする。 ベトナムの漢文説話における鬼神譚について巡る ――『今昔物語集』との比較 NGUYEN THI OANH Topics: demon, ghost, deep-seated grudge, human relationship 人間と鬼・幽霊との遭遇譚、型、共通点、 相違点、創造性 はじめに ベトナムの漢文説話の数は決して多くはない。中国、日本と違って、ベトナムでは鬼・妖魔譚が出現したのは遅かったが、民間伝承や伝説を収集・編纂した11 世紀―14世紀ごろ作品に見られる。中国と日本と共通する話も多い。ベトナムの漢文説話における鬼・妖魔譚の研究を深化・進展させるためには、ベトナムの代表的漢籍(漢文説話と漢文資料)を多方面から研究する必要がある。その手段として、ベトナム・日本などの漢字文化圏の鬼・妖魔譚における鬼神世界が、中国の志怪、伝奇小説などの影響下でいかに形成されたのかを比較検討するのは、有力な研究方法である。 2008年11月、東京の国文学研究資料館で開催された国際シンポジウムで「ベトナムの漢文説話における鬼退治」というテーマで発表した「1」。その発表ではまず、①ベトナム漢文説話における「鬼神」に関する説話数について;②ベトナムの漢文説話における鬼神観念について;③ベトナム漢文説話における人間と鬼神との出会いに関して;④ベトナムの漢文説話における「鬼退治」の説話について(『嶺南摭怪』を中心に)の四つの問題について論じたが、学会発表の時間的制約により、ベトナムの漢文説話における「鬼神」について概説するに止まり、「鬼退治」を中心に比較したものの、日中の「鬼退治」の先行研究として、河野貴美子氏のものだけを取り上げて、比較した「2」。他にも『日本霊異記』、『今昔物語集』など研究は多くあるが、それにほとんど触ることができなかった。 そこで、本研究では「ベトナムの漢文説話における鬼神譚について巡る―『今昔物語集』との比較」というテーマの下で、はじめにベトナムの漢文説話における鬼神観念について、次いで、ベトナムの漢文説話における人間と鬼神との出会い、最後にベトナム・日本・中国の説話はどうような共通点と相違点があるのか、また、両国の民間文学の創造性、民族性を考究し、その特徴を明らかにする。 日中比較の先行研究としては、河野貴美子氏が『日本霊異記と中国の伝承』の中で「鬼説話への態度 ― 『今昔物語集』の話末語との比較」について述べている。また、『今昔物語集の世界』の中で小峯和明氏が『今昔物語集』の空間や場について詳細に言及している「3」。『今昔物語集を学ぶひとのために』の中で中島美彌子氏が「鬼、神、霊、天狗」について、明らかにしている。しかし、『今昔物語集』の研究は余りに多く、今回それらを十分に参照することができないのは大変残念に思っている。今後の研究においてあらためて、補充する所存である。 テキストは、主に漢喃研究所が所蔵している漢文説話と『今昔物語集』は新日本古典文学大系、全五冊(岩波書店)、日本古典文学全集、全4冊(小学館、本朝部のみ)と『捜神記全訳』(貴州人民出版会社、1990年)に拠った。 1.ベトナムの漢文説話における鬼神観念について 2年前に東京国文学研究資料館でベトナム漢文説話における「鬼神」、「妖魔」、「妖怪」などの観念について論じた。ベトナムで一般的に知られる「鬼神」、「妖魔」、「妖怪」とは、死者の亡霊を意味すると考えられる。人間が亡くなった後も存在し続けるのは霊魂である。霊魂は他の世界にいながらにして、人間の世界に様々な影響を与える。鬼神には大力、飛行、変化などの能力が有り、人間に幸福をもたらしたり、危害を与えたりする。また、鬼神は吉凶の兆を知らせたり、人間の考えを理解したり、また動物に命令を与えたりする。人間に幸福をもたらす霊を「神」、「神霊」、「鬼神」などと称し危害を与える霊を「魔怪」「魔鬼」と称している。ベトナム漢文説話では「鬼」というのは「魔怪」を意味する以外に「牛頭馬頭」の姿をする地獄の鬼をも意味するが、恐怖の対象となるヨーロッパやギリシアなどの吸血鬼や人を食らう悪鬼の姿はあまり見られない。 ベトナムの歴代の儒家の鬼神観念については『世界文学の中の日本文学―物語の過去と未来―』に言及したが、その本で述べた部分を纏めて、述べない部分を補充し、以下のように再説しておきたい。 陳長期1329年に成立した『越甸幽霊集』「4」の序で、著者リーテースェン(李済川)は鬼神について言及している。「古代の聖人がいうには聡明で正直な者が神と称するに足りるのであり、淫神や邪神を濫りに神と称してはいけない」と。ここでいう「正直」とはつまり、国難を除く手助けをするために亡くなった者が神と称され奉られるということ、正直ではない者や邪悪な者は濫りに神と称してはいけないということである。人間の邪鬼への尊崇については直接言及しないが、当時、神と同時に鬼も祀られていたのは事実である。11世紀に中国から独立した最初の王朝である李朝(1010-1225)では中国の圧力に対抗するためにより強大な政権が求められ、民族精神の高揚を目的としつつ太古の昔から伝えられる伝説や伝承を記録し、歴史書や文学作品を編纂した。『越甸幽霊集』は神々に関する説を27篇(正編)を収めるが、内容としては夢の中で神々が王侯に託宣を下し、賊を平定し、国難を除くたすけをし、その功により神々が位を授けられるというのがほとんどである。同書の序に「あるいは精粋な山川の神々、あるいは優れた人物の霊魂である。その神々が当世は気勢をあげ、来世には英霊を総べる」と書いているように山川の神祇と国難を除く手助けをする人物は当世、気勢をあげるだけでなく、来世にも強い影響を与えると考えられていた。 16世紀に至ると黎朝期の儒家が儒教思想の立場で鬼神について引き続き議論している。『伝奇漫録』「龍庭対誦録」「5」は鬼神について以下のように述べている。「災難を止める者を祀り、大患を除く者も祀るというのは祭祀の恒例である。祀られる鬼神は自分の名称を守らなければならない。どうして、人間の供え物を受けている鬼神が人間に危害を与えたりするか(中略)。そこで著者は唐の(荻)仁傑が河南を巡撫して、皇帝に千七百の淫祠の撤去を奏上したという故事を引用し、当時のベトナムにおけるでたらめな祭祀を暗喩している。 『伝奇漫録』の作者―グエン・ズ- によると、ベトナムでの祭祀は中国という祭祀の根から形成されるから災難を止める者を祀り大患を防ぐ者も祀るというのは当然であるが、なぜ、人間の供え物を受けている鬼神が人間に危害を与えたりするか不思議である。それで、グエン・ズ-はまた唐人の仁傑が淫祠を撤去するように奏上したという話の通り、ベトナムで淫らに祀っているのが指摘された。 18世紀に至ると、儒家達が以上の鬼神尊卑観念について引き続き議論している。『雨中隋筆』「6」の中でファン・ディン・ホ―は鬼神について以下のように述べている。「昔、祀るというのは神祇を祀る以外、功績と徳行をもつ者をも祀り、災難を止め、大患をふせぐ者も祀った。畏、圧、溺によって死んだ者さえ弔わないのに、そうしたものまで、どうして村を挙げて奉ることができよう」(古之祀,自神祇之外有功德者祀之,能禁大災捍大患者祀之,至於畏壓溺三者且死不吊況舉邑而奉之乎)と。 神霊を祀るというのは神祇、並びに、功績と徳行をもっている者、災難を止め、大患を之防ぐ者を祀るのが当然であり、怖くて亡くなったり、圧して亡くなったり、溺れてなくなった三種の死者が全村で祀られるのは可笑しいことではないかということである。彼は人間の邪神への尊崇について指摘しているのではなく、例として邪神を祀ることを挙げ、その点を指摘している。例えば、本書の「馬公主廟」では、極めて淫らな公主が亡くなって神霊になり、人間が人間の生殖器のような果物の種を供え物として祀ると幸福をもたらしたという話がある。彼がその話の最後で「こんな淫らな女性を千秋に祀るのはドン・チョウ(東潮)「7」のファン・ニャン(PHAM NHAN)邪神「8」と同様、極めて可笑しいことである」と指摘するように、依然として当時の信仰には、神と鬼の両方を祀ることがあったことを物語っている。人間は優れた人物を尊敬するときにその霊を祀るが、邪悪な人物に恐怖を抱き恨む時にもその亡霊を祀る。 18世紀に於いても、儒家達が鬼神存在観念について引き続き議論している。有名な儒家レー・キ・ドン(LE QUY DON)氏(1726-1784)が鬼神尊卑観念について触れている。『見聞小録』の「霊蹟」の中で彼は鬼神について以下のように述べている。「聖人は鬼神について言及していないが、鬼について、よく記録したのは『左伝』である。一般的に言うと、宇宙は陰気と陽気しかない。理と気が存在するのをよく理解したら、鬼神が存在すると分かった」。 黎王朝に成立した『見聞録』「9」の中でブー・チン(VU TRINH)は「妖怪」について以下のように述べている。「匹夫と匹婦は鬼を恐れて怖いのが当然だが、知識を持っている人は鬼が存在しないと考えた。しかし、世界に鬼が存在しないとはいえない。取り残されたざる、壊れたほうきが顔を黒く偽装し魚を盗む。日が明けるともとの正体に戻る。鬼が存在するのが当然だ、なぜ取り残されたざる、壊れたほうき、すりきれた洋服などで恐怖におののくのか」。 阮王朝(1802-1945)に至ると儒家達が鬼神について引き続き議論している。1857年ごろ成立した『雲袋小史』「10」「那山奇跡」の中で、ファン・ヂン・ヅク(PHAM DINH DUC)は以下のように述べている。「孔子は怪異について言わないが、石が話せるという話が記録されたのは怪異が常のことではなくても、宇宙では怪異がない事はないであろう」。 李、陳朝に成立した漢文説話における鬼神に関する説話と違って、黎朝と阮朝に成立した漢文説話の中では、鬼神に関する説話数が増加するばかりではなく、「神霊」と「邪神」の差別意識が曖昧になってくる。外国に対する危機が無くなった時期において、英雄を崇拝する代わりに「鬼退治」の偉業を称えるようになる。例えば、人間の力に負けた神霊、上品を極めて没落し威厳をなくしてしまった神霊も存在する。また、人間に判決を覆された神霊、人間に騙された神霊さえ存在する。 そのような状況は17世紀から19世紀まで続く。当時ベトナムでは内戦と政権に対する抵抗運動が続き、経済は不景気で、難を避けて田舎を出て別のところに移住したり、道路で餓死したり、また、強盗がはびこる不安定な社会になってしまったため、尊崇するべき神霊像が崩壊してしまったのである。 2.ベトナムの漢文説話における人間と鬼神との出会いに関して 研究者によると、宇宙には人間と鬼神が伴に存在する。人間と鬼神の出会うには三つの類型があり、①人間と鬼・霊魂との結婚、②鬼退治や鬼守護などの人間と鬼・神との遭遇、③人間と鬼・妖怪との夢での遭遇という類型である。ベトナムの漢文説話には以上に述べた三つの類型があるが、一番多いのは夢で出会うことである「9」。 2.1.人間と鬼神との出会い 2.1.1.直接的に出会い (一)人間と幽霊との通婚 ベトナムの漢文説話において幽霊とが結婚する話は少なくない。男女夫婦は人間社会の成立と人類繁殖の根本であるから、説話の世界でも婚姻ということは最も需要な主題もしくはモチーフをなしている。主として男性が死せる女の幽霊と契るという怪異譚が多く、結婚相手を渇望する幽霊が人間と化身し、相手と結婚してしまうという話がある。例えば、主人公のチン・チュン・ゴ(程忠遇)は亡くなった美しい女性に会って、親しくなったら、誘われて、女の住宅を訪ねていってしまった。夜中にある「茅屋」に辿り着くと男は生臭さを感じた。火の光でみると小さい床があって、その上に御棺があり、お棺の上に赤い布に「葉卿之柩」という黄色い字が書いている。見ると男はそれと見て、怖くなり、慌てて逃げた。このような描写により、その場で幽霊であることが理解される(『伝奇漫録』の「木綿樹伝」)。また、若くて綺麗な女性が正室に打たれて亡くなったが、霊魂は消えずに美人に変身し、男性と通婚し、その後、道士に符で殺される話(『伝奇漫録』の「昌江妖怪録」)がある。また、主人公のグエン・チョン・テウン(阮仲常)という人物が夢の中で、洞庭湖で美人に会う約束をする。その後、使者として中国に行って、洞庭湖で亡くなってしまう話(『桑滄隅録』「阮公仲常」)もある。 (二)神守護や鬼退治などの人間と神・鬼との遭遇、 神は常に人間の世界を遊行し、寺院、祠などに宿し、人間の供え物を享受するため、神が人間に頼み事をされたり、制御されたり、競争するべき際に人間のことを手助けするという話もある。例えば、主人公のクオン・バオ(強暴)は魚や蝦を取って供え物として常に灶神に差し出していた。それで、灶神は「強暴」が雷神に打撃されることを早めに知っていたので秘かに知らせた。「強暴」は知らせてもらった通り、雷神を退治することができた(『公餘捷記』の「強暴大王」」。 また、人間の供え物を享受した鬼が、疫病にかかった人々を死から救った。主人公の黎遇は田舎へ帰ると、伝染病が起こっていた。家族の皆が面通しないほうど重い病気にかかってしまった。黎遇はご馳走を作って、庭に置く。夜になると、空から降りた鬼たちはご馳走を食べてしまう。食べ終わってから、鬼たちが黎遇の家族の人を釈放した。後、黎遇の家族の皆の病気が治った(『伝奇漫録』の「夜叉部帥録」)。 亡霊は人に恩返しする場合もある。昌氏は毎年、無名のお墓の土盛りを築く。亡霊は儒家に変身し、彼に衣服をあげたり、親戚の家まで案内したり、ご馳走を食べさせたりするなどの恩返しをする(『婆心懸鏡録』の「築墓報酬」」。 ベトナム漢文説話には、人間が鬼に危害を加えられる話が少なくない。鬼が害を加える話には三つの類型があり、人を病気にさせたり、人をからかったり、人と性交したりする。冤罪者の魂の死霊が死に至らしめた者はその周辺の者に復讐を及ぼすとも信じられるようになってくる。例を挙げると、年配の女優がお寺の龍の神様に打たれて亡くなった。鬼になってからお寺の後ろにある榕樹に泊り、往来するハンサムな男性をからかう。気を悪くした男性は病気になって死んでしまう (『雨中随筆』の「榕樹」)。 2.1.2.間接的に出会い ベトナムの漢文説話で人間と鬼神との出会いが一番多いのは夢における幽霊や神との出会いである。「夢」によって未来が予告され、過去が明らかにされ、現在がとらえ返される。夢によって人々は神仏や死者の姿を見、その声も耳にする。ベトナムの漢文説話における夢で人間と幽霊との出会う譚は二つの類型がある。一つは国家的説話である。夢の中で神々王侯に託宣を下し(くだす)賊を平定し、国難を手助けをするとか、洪水、旱魃が起きたときにも手助けをして、その功により神々が位階を奉られる。神々を加護した王権が賞賛される目的で話すというものである。例えば、呉王が国立する時に北方から外敵に侵略されるのを大変心配していた。夜、夢を見て、白髪で、さっぱりとした服装をしている老人が出現して、賊を平定する者を加護すると言った。そのうち、賊を平定することが出来るようになったから、前よりも大きい詞を建てて奉られている (『越甸幽霊集』の「ボーカイ大王」)。 もう一つは個人的説話である。普通の人間は夢で幽霊と出会うのは個人的で、民族や共同体を代表することはない。科挙試験の審査の人の夢で病気で無くなった女が出現して、結婚する予定だった男性の科挙試験の合格を頼んだという話しがある。(『見聞録』の「報恩塔」)。 2.2.人間と鬼神との出会う場所 人間と鬼神とが出会う場所は亭、廟など人々が集まるところの他に巨樹、坂なども多いと思う。例を挙げたい。「二人の夫婦はある日供え物(紙製の供え物)を売りに行って、帰る途中、雷首坂に至ると、雨が降ってきた。道がまだ遠く、夕方になって、暗くなったので、巨樹に雨宿った。彼らは雷電の閃光で、木の下に一つの別荘があるのが突然見えた。宿泊しようと思い、別荘の主人に一泊泊めてもらった。夜半、別荘の主人が疫病で死亡する人々の名簿を作るという話を聞き、大変怖かった。朝になると、寝たところは別荘ではなく、坂の隣にある二枚のバナナの葉であった。驚き慌てて、田舎に帰った。翌年、疫病が起こって、道で死亡した人は多かった。あの夫婦がその夜に聞いた話の通りだった」(『蘭池見聞録』の「雷首坂」)。 研究者によると、大昔の人間の観念では神霊が大樹に憑依している。また、当時何か異変が起こると、必ず大樹に憑依した神霊が降臨して、お告げを降ろす。また、人間と妖怪とが出会う場所は樹のところも多い。たとえば、結婚相手を渇望するあまり、人間が鬼神と結婚してしまうという話がある。美人と結婚し、美人が霊鬼に変化したことが分かっても離れられず、結局亡くなってしまう。亡くなると鬼に化して、巨樹に泊まって、人間に害を与えるという話がある(『伝奇漫録』の「木綿樹伝」)。またベトナム漢文説話には、人間が鬼に危害を加えられる話は少なくない。鬼が害を加える話には三つの類型があり、人を病気にさせたり、人をからかったり、人と性交したりする。例を挙げると、年配の女優がお寺の龍の神様に打たれて亡くなった。鬼になってからお寺の後ろにある榕樹に泊り、往来するハンサムな男性をからかう。気を悪くした男性は病気になって死んでしまう (『雨中随筆』の「榕樹」)。また、「京(みやこ)で遊学する時にヂン・ガンという宿屋に泊まった人がいる。近くにダーという木があって、妖怪がとまって、よく人をからかっていると聞かされた(『蘭池見聞録』の「樹妖」)。 また、「樹」に鬼が憑依するところだけでなく、「樹」が人間と同様、樹を斬られると血が出てくるというモチーフはベトナムの漢文説話に見られる。『嶺南摭怪列伝』の「蛮娘古伝」である。日本と中国と同様、豊かな森を保有する国のベトナム文化は樹木によっている部分がきわめて大きい。これは樹木に霊が宿すという信仰から発している。 ・「亭、寺院、堂、家」は妖怪が宿るところ 日本や中国と同様、亭、寺院、堂、部屋の隅は怪異や妖怪、妖魔の起こりやすい場所である。夜そこに宿した者が害を受けたり、あるいは夜毎に死者が出るといった建物の話はベトナム漢文説話においてもしばしば見受けられるものであり、特に『嶺南摭怪』の「金亀古伝」「11」にはそうしたモチーフが散見される。「山の傍に館がある。館の主の名前は悟 空という。白い鶏に変身した女性が居り、妖気に満ちている。人々が往来し、夜その館に宿泊すると妖精は千形万状に変化し殺害する。死んでしまう者も多い。その話において妖怪が発生する場所は、日本や中国と同様、亭、廟、お寺、宿屋、役所など衆民が共同生活するところである。また、死者の亡霊が巨樹に泊し、人を害する話も多い。 また、「お墓」「墓地」「塚」「棺」は鬼がよく出てくる場所である。 「塚」などは『伝奇漫録』の「木綿樹傳」を中心に登場する。先に述べた主人公のチン・チュン・ゴ(程忠遇)は亡くなった美しい女性と出会う場所はお棺があるところである。その場で幽霊が宿すことが理解される。 人間は鬼に会うと怖くて、反抗することさえできず、鬼の言いなりになる話もある。例えば、丁氏と一緒に酒を飲む人が木に輪切りの紐をかけて、丁氏にその紐を通り抜けるよう誘い、通り抜けると池のところに連れて行かれ、池に倒れると目覚めたという話(『雲嚢小史』の「隘鬼」)。鬼に殺されるのは「無警戒や不用心の場合が多く、機転を働かせ、果敢に挑む場合には難を免れること示している。鬼を退治することができる人は勇敢、果敢、的な人である。ベトナムの漢文説話にはそのような「鬼退治」に関する説話も少なくない。次にベトナムの漢文説話における「鬼退治」の説話について探ってみる。 3.ベトナムの漢文説話における「鬼退治」の説話について(『今昔物語集』と『捜神記』を中心に比較する) 私の鬼退治の論文は『世界文学の中の日本文学―物語の過去と未来―』に掲載されている。第二章、ベトナムの漢文説話における鬼退治の説話について(『嶺南摭怪』を中心に)で述べたように、『嶺南摭怪』の「金亀古伝」の安陽王が城を造った際の故事として語られる鬼退治の内容がこの上三縁『日本霊異記』説話と類似のモチーフを有する説話としてとらえ、河野氏の論考を辿りつつ、鬼退治の説話に関する項目を参考に、『嶺南摭怪』の「金亀古伝」における「鬼退治」に関する各モチーフについて考察した。その結果は『嶺南摭怪』の「金亀古伝」における「鬼退治」は中国、日本の説話とは違う点がある。最も異なる点は、鬼と格闘する場面がないところであると指摘したい。 ベトナムの漢文説話における鬼退治の説話数は多くないが霊鬼や妖怪に襲われたり、それを退治したりする話が類型的に収められている。また、『今昔物語集』と『捜神記』の中の鬼退治説話は『日本霊異記』上三縁の内容を以下の要素を生み出した基盤としてとりあげたものであるが、ある決まった建物に鬼魅が現れるというモチーフを有する説話を取り出し、説話の内容をまとめたのが次の表である(表を参照ください)。 3.1.鬼が出てくる建物 表をみると夜毎に死者が出るといった建物だけでなく、妖怪が発生する場所は、日本の『日本霊異記』、『今昔物語集』や中国の『搜神記』と同様、亭、廟、お寺、宿泊、役所など衆民が共同生活するところである。また、樹、坂、などの死者の亡霊が泊し、人を害する話も多い(第2.2の「と鬼神との出会う場所」の参照)。 3.2.鬼退治する人の性格 中国、日本と同様、「鬼退治」する人は鬼神を恐れない勇敢な人物である。『嶺南摭怪』、『公 餘 捷 記 』などは中国の説話と伝承に見られる「勇敢」「賢き心や智」というモチーフを取り入れたのだと思われるが、また、そのモチーフは世界の英雄伝説、伝承によく見られる。 しかし、『搜神記』と違って、『今昔物語集』とベトナムの『傳 奇 漫 錄』、『蘭 池 見 聞 錄 』、『雲袋小史』において鬼退治説話の話末部に評語がある(『嶺南摭怪』においては話末部の評語がない)。それらの説話は中国説話のモチーフを利用して形成されているが、以上挙げたベトナムの漢文説話の話末部の評語は『今昔物語集』巻第27とは違って、鬼退治する人物の「強力」、「勇敢」、「賢き心や智」などを直接評語に賞賛しない。『蘭 池 見 聞 錄 』の「鬼闘」の話末部の評語は次のように語られる。

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  • Nguyễn Thị Oanh

      THÔNG TIN CÁ NHÂN         1.    Họ và tên: NGUYỄN THỊ OANH 2.    Học hàm học vị: Phó Giáo sư. Tiến sĩ 3.    Năm sinh: 1956 4.    Nơi sinh: Trưng Vương, Thái Nguyên 5.    Điện thoại: 3.7622.184; 0976.179.828 6.    Email: This email address is being protected from spambots. You need JavaScript enabled to view it. 7.    Chức vụ và nơi công tác: Trưởng phòng nghiên cứu văn bản Lịch sử - Địa lí, Viện Nghiên cứu Hán Nôm, Viện KHXH, Việt Nam.

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